2008.05.07 (水)
いったい、この日に何があったのか?
その日、全946ページ、重さ3.4kgもの新聞を発行したニューヨーク・タイムズで調べてみたらどうであろう?
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Tail-Lagoon @ 00:29
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2005.06.11 (土)
ソフトウェアはハードウェアに置換することが可能であり、その逆もまた可である──開発コストや実行速度の問題は無視して、本質的な点のみについて考えればってこと。このアイディアを小説的に実現したのがイーガンの『順列都市』だったな、そういえば。
ぼくらの脳髄はハードウェアだが、蓄積された情報(有形無形の記憶や、種としての特徴、あるいは先祖代々引き継がれてきたものを含め、個としての固有の特徴)はソフトウェアでもある。ところでこれを宗教的に考えると、人間というのは肉体と魂から成っているわけで、脳髄=肉体はハードウェアだから、魂=情報はソフトウェアってことになる。と、ここまではきっと誰もがその比喩(本当は比喩ではないんだが)に納得する筈だ──多かれ少なかれそんなことを考えた経験があるだろう?
だがさて、冒頭の命題に戻れば、互いに置換可能ということは、つまり互いに等号で結ばれているということだ。どちらも本質的には違いがないのだから。そして、概念的には分割可能なこの二つも、存在(運動)の様態としては分離は不可能だ。ハードウェアはソフトウェアを内包し、ソフトウェアはハードウェアを前提にする(誤解している人がいるといけないので書いておくが、ここでぼくが言っているハードウェアとは、要するに物質全般のことであって、ある一部の電子機器のことを指しているのではない──書物や自転車やコップといった割と単純な物質(ハードウェア)だって、それが情報である以上はソフトウェアでもあるということだ)。存在とは、ハードウェアとソフトウェアの統合された状態でしか実現不可能な様態であり、故に肉体が滅べば魂も滅ぶ。だがまた、存在とは情報のことでもあるから、情報が保管されている限り、魂も残る(情報が完全であれば肉体の再生産さえ可能だ──ただし、その情報が何時の時点で作られたものかによって、再現される年齢も性格も思想も感情も違う筈だが)。──その人が死ぬとその人固有の情報は失われるが、まったく失われるわけでもなくて、かなり不完全な欠落した形ではあるが、一部は残される。記憶や記録として。あるいはまた、エネルギー保存則に従えば、情報は失われるのではなく、形を変えて生き残るという見方もできる。遺伝子コードとして、思想として、炭素として、あるいは分子・原子・電子・核子にまで砕け散ったとしても。まあこれは結局、その情報の固有性(アイデンティティ)が失われてしまうわけだから、やはり情報の喪失ということになるのかな。しかし少なくとも無に帰するわけではない、と思うことはできる。そう、現代の物理学で言えば、真空でさえも無ではないのだ。
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Tail-Lagoon @ 00:00
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