2008.04.23 (水)
18世紀に始まった西洋産業革命が19世紀にもたらしたもの──それは、世界的な規模の拡大と時間の同一化である。資源の短時間大量輸送が可能になった時代では、産業・経済空間の拡大と時間の同期は必須となる。19世紀において、有史以来初めて世界がひとつになった(なろうとした、あるいは、ひとつの土俵にまとまった)のだ──産業・経済システムとして──それもかなり強引に、強制的に。
それまではせいぜい1時間程度の単位だった人間の生活が、分・秒単位で細かく刻まれるようになったのは、機械化された工場の稼働がその発端ではないだろうか。人間の労働力が生産システムの一部として機械と同列に組み込まれ、操業開始から終了時刻まで、一斉に、全く同時に、同一のペースで進行させねばならなかったために、人間の行動時間の単位を分・秒単位まで細分化する必要が生じたのだと思う。大量生産のための大規模なシステムを管理するには、地域差・個体差等の差異を無視し、可能な限りすべてを同時進行させたほうが都合がいい筈だ。
20世紀を概括して戦争の世紀と呼び習わすのは、誰が始めたことなのだろう。だが確かに、それ以前は局所的にしか行われていなかった戦争を、世界規模にまで押し拡げたのはこの世紀だ。世紀の前半部は、二度に亙る世界大戦がその時期の最も重大な事件として史的記憶を占領し、後半部はこの世界的な戦禍の後遺症が国際情勢に大きな暗雲を落とした。そして21世紀の現在においてもいまだ完全に解決したとは、到底言えない状況にある。
では19世紀は、この世界戦争を準備した期間だったのだろうか。たぶんそうだ。産業革命によって、西洋は他地域とは桁違いの強大な技術力を手に入れた。そして西洋は、その圧倒的な力をもって、全世界を呑み込もうとした。蒸気機関の発明、鉄道と蒸気船による陸路・海路の整備(時間短縮・大量輸送の高効率化)が、全世界を一気に狭くし、堅固に結びつけてしまった。電信技術の発明による情報伝達速度の向上も、この流れに拍車をかけたことを忘れてはなるまい。こうして世界が初めてひとつになった。政治的に、ではなく、時間的・空間的にまとまったのだ──システムとして。
ひとつになってしまった世界では、どこか一部の場所で起きた出来事が全体に伝播する速度は、従来とは比べ物にならないほど速い。その出来事がどのような種類のものであろうとも、恐ろしい速度で蔓延する。──たとえその出来事が戦争だとしても、それがすぐさま世界中に拡散するのは当然避けられまい。経済・産業システムを世界規模に拡大した19世紀こそ、やはり世界規模にならざるを得ない戦争システムの準備期間だったといえよう。
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もし歴史が人の作った物語のように起承転結で推移するなら、近・現代史は18世紀産業革命の萌芽を起とし、それを拡大発展させた19世紀を承、世界大戦の20世紀が転となる。では21世紀は果たして結となるのだろうか。なるとすれば、終末としての結か、それとも希望を未来へと繋ぐ形で発展的に解消する結となるか、どちらだろう?
それとも、そんなに簡単に歴史を終わらせたり区切ったりすることなどできまい、そのような恣意的な意味付けは真実の歴史をゆがませるだけだ、という意見だってあるだろう。そもそも歴史を物語のように見るという前提そのものが誤りだ、そんな都合の良い観点で歴史を括ることなどできる筈もない、思い上がりも甚だしい、とする謙虚さもきっと必要なのだ。
歴史を動かすのは人のみにあらず、自然というもっと大きな畏るべき力が、それを突き動かしているのだということもまた、忘れてはなるまい。

ジェームズ・ワットの蒸気機関 ⇒ Wikipedia Image
Tail-Lagoon @ 19:28
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