2010/05/04(火)
『はだかの王様』は、誰の眼にも王様は裸だと映っていた。ただ一人の子どもだけが見えたままを正直に叫んだが、大人たちも自分が嘘をついていると自覚してはいた。
『1984』の世界では、誰もが王様は素晴らしい服を着ているのだと信じているし、本当にそう見えている。王様が裸に見える人間は、狂っているのだ。だからオブライエンは、ウィンストンを拷問しながら、彼を精神錯乱、精神異常とし、「治療可能だ」と嘯いてみせる。
ウィンストンはもちろん、自分が狂っているとは思っていない。「少数派であっても、いやたった一人の少数派であってさえ、そのことで狂人ということにはならない。一方に真実があり、他方に出鱈目がある。もし全世界を敵に回しても真実を手放さないのなら、その人間は狂っていないのだ。」
これは陰鬱な小説だ。敗北は最初から確定している。
文明を維持しているのは狂気だ。狂気が世界を支配し、正気の人間が周縁部に押しやられ、あるいは消えてゆく。──我々はみな自覚なき狂人である。
オーウェルが告発しているのは、全体主義であり、権力を維持するためのシステムであり、徹底的な監視と管理による憎悪が支配する社会である。
しかし、──とぼくは思う──資本主義も、民主主義も、あらゆる社会体制は、結局のところ狂気の沙汰でしかないのではないか。『1984』の世界とは別の形で。
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Tail-Lagoon @ 22:54
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2009/11/16(月)
狂気というのは、ひとつの才能である。人は誰でも望んで狂気を手に入れられるわけではない。狂気を望んだところで、狂気はやってこない(例えば、アンドレ・ブルトン)。狂気は人を選ぶ。狂気は、狂気に選ばれた人間だけが持つことができるのだ。
P・K・ディックは天才だ。『火星のタイム・スリップ』を最初に読んだのがいつだったか? 時期も(もしかしたら20年ほども前のことかもしれない)内容も覚えていない。ただ、何か黒ずんだ不安な雰囲気だけが、漠然と痕に残り続けた。今、再読して、改めてこの小説の恐ろしさがわかった気がする(そして日野啓三との近しさも)。20年近くかけて、ぼくは漸く、ほんの少しだけ、狂気の側に近づくことができたのかもしれない。
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Tail-Lagoon @ 23:59
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2009/10/16(金)
ローマ皇帝の狂気を題材にした文学作品を、ぼくは今のところ三つだけ知っている。そしてその三つとも、それぞれに特異で、重要な作品だと思う。
補足
もちろん、文学作品は史実に忠実である必要などない。実際、これらの作品がどこまで史実と合っているのか、あるいは食い違っているのかということを、ぼくは知らないし、知ったとしても気にはしない。(更に言えば、<史実>なるものもまた、それほど信用できるものではないとも考えている。歴史なんて、案外あやふやなものに違いない。その場に行って自分の目で見てきたのでもない限り、そうそう鵜呑みにはできないよ)
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Tail-Lagoon @ 02:43
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