2007/04/04(水)
「一冊の本を読むには二通りの読み方がある。ひとつは本を箱のようなものと考え、箱だから内部があると思い込む立場。これだとどうしても本のシニフィエをさがしに行くことになる。この場合、読み手がよこしまな心をもっていたり、堕落していたとしたら、シニフィアンの探求に乗り出すことになるだろう。そして次の本は最初の本に含まれた箱になったり、逆に最初の本を含む箱になったりするだろう。こうして注解がおこなわれ、解釈がほどこされ、説明を求めて本についての本を書き、それが際限なく続けられるわけだ。もうひとつの読み方では、本を小型の非意味形成機械と考える。そこで問題になるのは「これは機械だろうか? 機械ならどんなふうに機能するのだろうか?」、そう問うことだけだろう。読み手にとってどう機能するのか? もし機能しないならば、もし何も伝わってこないならば、別の本にとりかかればいい。こうした異種の読書法は強度にしたがう読み方だ。つまり何かが伝わるか、伝わらないかということが問題になる。説明すべきことは何もないし、理解することも、解釈することもありはしない。これは電源に接続するような読み方だと考えていい。」
(『記号と事件』「口さがない批評家への手紙」ドゥルーズ 宮林寛 訳)
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2007/03/03(土)
「ひとたび注目されてから、この机はずっと精神を引きつけてきた。何か分らないが、この机はおそらくずっと自分自身の関心事さえやり続けてきたのだ……。驚くべきことに、この机は単純ではないが、かといってそれほど複雑でもなかった。つまり始めから複雑だったり、意図的に、あるいは計画的に複雑であったりしたわけではない。むしろ、加工されていくにつれて、この机は単純でなくなってきたのだ……。この机はそれ自身としては、いくつもの付加物のある机であった。ちょうど、分裂症者の描くデッサンが詰め込み過ぎといわれるように。この机が完成するとすれば、それはもう何もつけ加えるてだてがなくなったときである。この机にはだんだんいろんなものが積み重ねられ、それはますます机でないものになっていった……。この机は、机として用いるには、また机から期待される何かには、まったく適さないものとなった。重くてかさばり、ほとんど運ぶのが難しかった。この机をどう扱ったらいいのか、誰も分らなくなっていた(気持ちのうえでも、手をつけるにしても)。平たい板、つまり机の普段使う部分は、かさばる骨組みとはだんだん関係がなくなって減少し、消滅してゆき、机という全体はもはや考えられなかった。それは例外的な家具のようなもの、誰も何の役に立つのか分らない未知の道具のようなものだった。これは人間と無関係の机で、ちっとも快適でなく、ブルジョワ風でも、民芸風でも、田園風でもなく、料理用でも、作業用でもなかった。それは何ごとにも役立たず、用途やコミュニケーションを拒否し、堅く身を守っていた。この机には、何か愕然とし、石化したようなものがある。それは、故障したモーターを思わせたかもしれない。」
(アンリ・ミショー『精神の大試練』
──ドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』宇野邦一訳からの孫引き)
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