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ディックの狂気 »

『火星のタイム・スリップ』P・K・ディック/ハヤカワ文庫
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狂気というのは、ひとつの才能である。人は誰でも望んで狂気を手に入れられるわけではない。狂気を望んだところで、狂気はやってこない(例えば、アンドレ・ブルトン)。狂気は人を選ぶ。狂気は、狂気に選ばれた人間だけが持つことができるのだ。

P・K・ディックは天才だ。『火星のタイム・スリップ』を最初に読んだのがいつだったか? 時期も(もしかしたら20年ほども前のことかもしれない)内容も覚えていない。ただ、何か黒ずんだ不安な雰囲気だけが、漠然と痕に残り続けた。今、再読して、改めてこの小説の恐ろしさがわかった気がする(そして日野啓三との近しさも)。20年近くかけて、ぼくは漸く、ほんの少しだけ、狂気の側に近づくことができたのかもしれない。

Tail-Lagoon @ 23:59   |   PageUp

「日野啓三 著作リスト」を追加しました。 »

 投稿(post)ではなく、固定ページ(page)として、「日野啓三 著作リスト」を追加しました。これは、http://www.tail-lagoon.com/table/keizo_hino.php で掲載していた情報からの転載・修正版ですが、表紙画像が追加されています。今後はこの新規ページの方で、表紙画像や備考欄などをもっと充実させてゆきたいと考えています。といっても、それほど頻繁に更新はできないでしょうが……。

 以上、新規ページ追加の告知記事でした。

Tail-Lagoon @ 23:29   |   PageUp

『砂丘が動くように』についてのいくつかの覚え書き »

『砂丘が動くように』日野啓三

1985 「中央公論」に連載 谷崎潤一郎賞

1986 単行本 中央公論社

1990 中公文庫 第3章改訂

1998 講談社文芸文庫
「著者から読者へ 砂について」
著者自身による年譜
解説:「文学が終わり、世界それ自体が始まる」保坂和志

Note

  • 根源的な小説のひとつ
  • タイトルの二重性
    比喩的表現であると同時に祈りの表現でもある
  • 章構成と語り手
    第1章 フリーライター沢一郎(ゴースト)による一人称
    第2章 ビッキーの視点による三人称
    第3章 少年(三条竜一)の視点による二人称と三人称の混在

    • ビッキーとゴーストの視点では三人称
    • (奇妙な語り手)「きみ」と呼びかけるとき、あるいは少年の盲目の姉(母)のような気遣いが時にあらわれる(例:「気をつけて」)。さもなくばビッキー(父)の可能性も。だがむしろ、そのどちらでもなく、どちらでもありうる、もっと根本的で高次の人間意識による視点(呼びかけ)なのかもしれない。
  • エピローグ 姉による一人称。この小説世界の浄化・カタルシス。
  • 砂とキンチ。UFO。卵。
  • ゴースト
    トンネル(断続する暗闇)。砂とキンチ。UFO。卵。老人の銅像。
  • ビッキー
    男でも女でもない顔、人間のすべて。
    (p.165)
    「自分だけで人間全部になろうとしている。自分が世界になろうとしている。」

Tail-Lagoon @ 20:13   |   PageUp

〈向こう側〉──日野啓三氏の冥福を祈って »

 シュルレアリスムについて──超現実を幻想と捉えてはいけない。超現実とは、あくまで現実の強度がより高レベルに達した状態・様態のことである。現実とかけ離れたものなのではなく、現実と地続きの、同一地平にあって、ただ現実をより突き詰め推し進めたものであるというだけのことなのだ。と、そういった意味のことを最近読んだ本の中で巖谷國士が述べていた。より強度の現実のことを超現実と呼ぶのならば、それはまさしく日野啓三が残していった作品にも、この言葉が当て嵌まるのではないか。

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Tail-Lagoon @ 23:55   |   PageUp