2010/05/04(火)
『はだかの王様』は、誰の眼にも王様は裸だと映っていた。ただ一人の子どもだけが見えたままを正直に叫んだが、大人たちも自分が嘘をついていると自覚してはいた。
『1984』の世界では、誰もが王様は素晴らしい服を着ているのだと信じているし、本当にそう見えている。王様が裸に見える人間は、狂っているのだ。だからオブライエンは、ウィンストンを拷問しながら、彼を精神錯乱、精神異常とし、「治療可能だ」と嘯いてみせる。
ウィンストンはもちろん、自分が狂っているとは思っていない。「少数派であっても、いやたった一人の少数派であってさえ、そのことで狂人ということにはならない。一方に真実があり、他方に出鱈目がある。もし全世界を敵に回しても真実を手放さないのなら、その人間は狂っていないのだ。」
これは陰鬱な小説だ。敗北は最初から確定している。
文明を維持しているのは狂気だ。狂気が世界を支配し、正気の人間が周縁部に押しやられ、あるいは消えてゆく。──我々はみな自覚なき狂人である。
オーウェルが告発しているのは、全体主義であり、権力を維持するためのシステムであり、徹底的な監視と管理による憎悪が支配する社会である。
しかし、──とぼくは思う──資本主義も、民主主義も、あらゆる社会体制は、結局のところ狂気の沙汰でしかないのではないか。『1984』の世界とは別の形で。
Filed under: Impression | タグ: オーウェル, 狂気
Tail-Lagoon @ 22:54
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