2007 4 月の記事

本の二通りの読み方 »

『記号と事件 1972-1990年の対話』ドゥルーズ/河出書房新社『記号と事件 1972-1990年の対話』ドゥルーズ/河出文庫
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「一冊の本を読むには二通りの読み方がある。ひとつは本を箱のようなものと考え、箱だから内部があると思い込む立場。これだとどうしても本のシニフィエをさがしに行くことになる。この場合、読み手がよこしまな心をもっていたり、堕落していたとしたら、シニフィアンの探求に乗り出すことになるだろう。そして次の本は最初の本に含まれた箱になったり、逆に最初の本を含む箱になったりするだろう。こうして注解がおこなわれ、解釈がほどこされ、説明を求めて本についての本を書き、それが際限なく続けられるわけだ。もうひとつの読み方では、本を小型の非意味形成機械と考える。そこで問題になるのは「これは機械だろうか? 機械ならどんなふうに機能するのだろうか?」、そう問うことだけだろう。読み手にとってどう機能するのか? もし機能しないならば、もし何も伝わってこないならば、別の本にとりかかればいい。こうした異種の読書法は強度にしたがう読み方だ。つまり何かが伝わるか、伝わらないかということが問題になる。説明すべきことは何もないし、理解することも、解釈することもありはしない。これは電源に接続するような読み方だと考えていい。」

(『記号と事件』「口さがない批評家への手紙」ドゥルーズ 宮林寛 訳)

 

Tail-Lagoon @ 00:21   |   PageUp

フーコーの自由 »

『フーコー・ガイドブック』フーコー/ちくま学芸文庫
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「フーコーはひと目見たら忘れられないスキンヘッドの哲学者だ。思想家には欠かせない「頭」そのものが存在と化したような風貌の人だった。もともと若い頃から髪の毛は少なかったようなのだけれど、あるとき托鉢僧のように頭を剃り上げることを決意して実行した。以来自分は毛髪の問題から自由になったのだと本人は述べているから、意志と決断によって自由を手に入れるタイプの人だったのだ。鋭い思考と強い意志とを一致させることで自己を統治すること、フーコーの風貌はそのような哲学者としての思考する主体のあり方が作り出した思想家のアイコンなのだ。あなたが、フーコーのスキンヘッドにある種のかっこ良さを感じるとすれば、それはそのような哲学者のハビトゥス(身の処し方)を感じとっているからだろう。」

( 『フーコー・ガイドブック』「序 フーコーを読むために」石田英敬
/ 小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編)

Tail-Lagoon @ 03:49   |   PageUp

ヴィリエ・ド・リラダン »

『フロベールの鸚鵡』バーンズ/白水Uブックス
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「ヴィリエ・ド・リラダンという人は、絶えず金に困っている割にはひどく現実的なところがあって、たんまり遺産を相続するはずの女性をものにしようというのでイギリスに渡ってきた。目的達成のためにパリの結婚仲買業者が、毛皮の外套、目覚ましつきの懐中時計、新しい入れ歯一式を支度してくれたが、その代金は遺産つき女性の持参金が入り次第、支払うことになっていた。ところが、万事に途中でつまずくのが常習のヴィリエは、今度も求愛作戦でへまをやらかした。遺産つき女性には肘鉄をくらうし、結婚仲買人には外套と時計を返せと迫られるしで、哀れ、ふられっぱなしの求婚者は、口のなかは入れ歯でいっぱい、懐のなかには一文もなしで、ロンドンをさまよう身になったのである。」

(『フロベールの鸚鵡』 ジュリアン・バーンズ 斎藤昌三 訳)

 かの奇作『未来のイヴ』の作者が、こんなトンマだったとはね。だが却って親近感が湧くというものだ。むしろ作品よりも実生活のほうが面白いと言ったら、さすがに作家に対する冒涜となってしまうだろうが、作品は作品である種の古典的価値を既に得ているのだから、作家についてもこういうオマケのエピソードがあるなら、それはそれでいいじゃないか。

 それにしても「結婚仲買業者」とはどういうものか? 「仲介」ではなくて「仲買」なのだ。2箇所も使用されているのだからまさか誤植というわけではないだろう。つまり、結婚を商品のように売買するブローカーがいたってことか?

Tail-Lagoon @ 15:00   |   PageUp

網──糸と穴 »

『フロベールの鸚鵡』バーンズ/白水Uブックス
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「網というものを定義するとして、視点の取り方で定義の仕方には二通りある。普通には、魚をとるために糸などを編んで作った道具というところだろう。しかし、さほど論理を歪曲することにはならないはずだが、このイメージをひっくりかえし、ある愉快な辞書に書いてあるような定義も可能である。その辞書によると、網とは糸などで連結されたたくさんの穴の集合体だというのである。」

(『フロベールの鸚鵡』 ジュリアン・バーンズ 斎藤昌三 訳)(強調はTL)

 なるほど、愉快な解釈。それにしても、この「愉快な辞書」というのはなんだろう? 気になる。

Tail-Lagoon @ 15:18   |   PageUp