2005/04/05(火)
世界の成り立ち・仕組みに対する絶大な好奇心。その好奇心を真面目に追求すれば科学者になる。しかし学問というのはとてもまだるっこしい。こつこつと実験だの検証だのに費やし、地道な積み重ねを必要とする。それはそれで尊敬しうる立派な仕事ではあるが、しかしどうも自分には気長すぎる。どんなにがんばっても、もしかしたら知りたいことの半分も解明できずに一生を終えるかもしれない。
などと考えるせっかちな人間がSF作家になるのじゃなかろうか。
科学では未だ解らないことを、空想で補う。想像力を駆使して世界の仕組み(理論)を勝手に再構築する。もちろん、そのような思いつきの理論など間違っている公算は大である。しかし、問題は正しいか間違っているかではなく、楽しいかどうかなのだ。答が合っていようがいまいが、そんなことはどうでもいい。それらしい答を導き出すためにあれこれ思案することが楽しいのだ。フィクションとは、そういう楽しさなのだ。だからこそ、世界の仕組みは奇想天外であればあるほど面白い。更に、その奇想天外な理論にいかにももっともらしい理屈をつけ、さも有り得ることのように説明できれば、なお面白い。よくもまあこんな屁理屈をひねくり出したものだと人に思わせられれば最高である。嘘八百で人を騙して納得させてしまうのはたまらない快感だ。SF作家とはつまり稀代の大嘘つき・詐欺師・ペテン師の類なのだ。ただし、それで人から何かを奪ったりはしない。むしろ希有壮大な法螺話で、人に楽しい時間を与えることこそ本懐だ、と考えているに違いない。
(バリントン・ベイリー『禅銃(ゼン・ガン)』を読みながら思ったこと)
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Tail-Lagoon @ 00:00
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