新しい神話を手にする時

『ナヌークの贈り物』星野道夫/小学館
library.tail-lagoon.com

星野道夫『ナヌークの贈り物』

 いつかあなたはナヌークに出会うかもしれない。
 ナヌークに出会った者は幸せだ。
 それは大地の一員として認められることだから。
 あなたがたった一人ではなく、たくさんの命とつながっているのだということを知ることだから。

 子供向けに作られた写真絵本、易しい文章で、量も少ない。にもかかわらず、この一冊の絵本の中には星野道夫の核が凝縮されている。素晴らしい写真と簡単な文章の中に込められた思いは、遙かに奥が深いのである。

 ナヌークというのは白熊のことである。極北の狩人たちの間で白熊は彼等の大事な食料であり、氷の世界の王者として崇敬されてもいた。夜空にオーロラが舞う夜、少年は何かに呼ばれるように歩き出す。あたりはやがて吹雪になり少年はナヌークと出会うのである。ナヌークは少年に語りかける。かつて人間は動物たちと同じ言葉でしゃべっていたこと、食物の連鎖の中で命は生まれ変わっていくこと、少年もやがては狩人としてナヌークと闘わなければいけないことなど。

「いつの日か、わたしたちは、
 氷の世界で出会うだろう。
 そのとき、おまえがいのちを落としても、
 わたしがいのちを落としても、
 どちらでもよいのだ」

 星野道夫の語った言葉だからこそ、この言葉は重い。彼の語った言葉だからこそ、この言葉には意味がある。それにしても、なんと突き抜けた言葉だろう。この言葉を読んで、彼の死が僕の中でようやく落ち着いた。彼の死が僕の中でようやく居場所を見つけた。そんな風に感じている。
 僕はこれからどうやって生きていこう。そんなことを考えていると、星野道夫のことがまず頭に浮かぶ。そしてとても勇気づけられる思いがする。もちろん僕は写真家になるわけでもアラスカに住もうというわけでもない。ただ、もっと精神的な部分で、僕はいつも、星野道夫という男がいた、その記憶によって助けられているのだ。
 まあ、僕のことなどどうでもいいのだけど。

 ナヌークの語る、かつて人間と動物は同じ言葉でしゃべっていた、これは我々の忘れられた記憶、狩猟採集民だった頃の大切な思想であった。星野の別の写真集、アークティック・オデッセイの冒頭に引用された『魔法の言葉』(エスキモーの歌──金関寿夫『魔法としての言葉』より)と同じことをナヌークは語るのである。別に動物と友達になるわけじゃない、自然と馴れ合って生きていけるわけでもない、ただ、自分たちもまた動物たちと同じ自然のシステムの一部なのだということを、狩猟採集民だった頃の僕らの祖先は強く実感していたからこそ、『魔法の言葉』という考えが生み出された。そして、この『魔法の言葉』こそは、現代に再び蘇らなければならない大切な言葉だと僕は思う。

 地球というのは閉じたシステムである。与えられるのは太陽エネルギーだけ、しかもそのエネルギーの変換効率も決まっている。それ以外の資源はすべて有限なのである。有限な資源をどれだけ有効に活用しうるか。この難題に生態系というシステムは驚くべき緻密さで、地球上のすべての生命をバランスさせてきた。そして、そのことを狩猟採集民たちは経験的に理解しており、彼等の生活もまた、この生態系の上に絶妙に適応し環境と調和している。最近の人類学研究によって明らかにされてきたこの事実は、狩猟採集民が決して野蛮でも未開でも未発達でもないということを示している。彼等の生き方は、環境の破壊という現代文明の抱え込んだ重い病に対して、ひとつの解答を提示していることは疑うべくもない。

 とはいえ、現代の文明はもはや後戻りできないところまできている。我々はもう狩猟採集経済の時代に還るわけにはいかない。狩猟採集によって地球が許容できる人口はおそらく四百万人と言われている。やがて六十億にも達しようとする現代人の生きる方法はもうそこにはないのだ。

 いずれにしても、自然に対する崇敬の念を失ったとき、我々にはもはや生きてゆくためのいかなる手段も見いだせなくなるだろう。『旅をする木』「トーテム・ポールを捜して」の最後の方で、森の中に朽ち果ててゆくトーテムポールを眼前にしながら、星野道夫はこう書いている。

「そこに刻まれた、どこまでが人間の話なのか、動物の話なのかわからないさまざまな夢のような民話は、彼らが自然との関わりの中で本能的に作りあげた、生き続けてゆく知恵だったのかもしれない。それは同時に、私たちが失った力でもある。
 人間の歴史は、ブレーキのないまま、ゴールの見えない霧の中を走り続けている。だが、もし人間がこれからも存在し続けてゆこうとするのなら、もう一度、そして命がけで、ぼくたちの神話をつくらなければならない時が来るかもしれない。」

 果たして新しい神話をつくりだすことが我々にできるだろうか。
 新しい神話を手にする時が、我々には来るだろうか。

Tail-Lagoon @ 00:00

コメントおよびトラックバック受付中です。
TB : http://weblogs.tail-lagoon.com/Bibliopolis/108/trackback/

コメントをどうぞ

この投稿へのコメントは RSS 2.0 フィードで購読できます。