2005 9月の記事

落下する時間 »

 時間を水平方向の動きに例えるならば、その運動の方向は後から前へということになるだろう。このイメージはたぶん万人に共通の筈だ。では垂直方向の動きに例えた時は? 時代を下るとか遡るとか言うように、時間は上方から下方へ向かって落ちてゆくものだ。落下する水滴のイメージ。それに、これは私だけのことかもしれないが、日本のような縦書きの文化においては、上から下へと文字を追い続けるうちに時間も進んでいく以上、少なくとも文学的表現としては、時間というものは下降するものなのだ。と、私はずっとそう信じこんでいたのである。ところが驚いたことに、どうやら現代においては、時間というのは上昇するものらしいのだ。ある書物にそのように書かれているのを読んで、私は結構衝撃を受けた。つまり、近代・現代において、時間の流れはそのまま進歩・進化のイメージと重なり、ヒトという種が進化の頂点に位置しているというおめでたい錯覚と相俟って、下方から上方へと、天の高みを目指して昇っていくものとして捉えられているというのである。時間について考えようとする時、どうしても空間的な比喩を使用して考えざるを得ない、そういう一面が私達の中に伝統的に巣食っているとは常々思ってきたことだけれど、まさかその比喩がまったくあべこべに考えられているとは知らなかった。ああびっくりしたびっくりした。私はどうやら時間からも置いてきぼりにされて、現代人に属さない人間ということらしい。とはいえ、過去に属することだって時間の不可逆性によって禁じられているわけだから、つまるところ私はどこにも所属できないというわけか。そら困った。時間厳守。同時行動。それが社会生活の掟なら、他者と違う時間の流れに生きることは許されまい。いやそれとも、そのような機械時計のルールから脱却できたことをむしろ喜ぶべきなのか。脱却できたのなら喜ぶべきだろうが、今もこうして囚われたままになっている以上、たいして喜ぶべきことでもないだろう。それどころか人と協調すべき時に協調すべき共通の時間イメージを持っていないのならば、苦労の方が多かろう。えらいこっちゃえらいこっちゃ。道理で何だかおかしいとは思っていたんだいつもいつも。何でか知らんがどうも人とうまく時間が合わない。合わないのを無理矢理我慢して合わせているから、だからこんなにしんどかったのか。どうしてだろうなぜなんだろうと思っていたのさいつもいつも。そうかそういうことだったのか。なるほどなるほど漸く判った。とまあかくも大げさにとりとめのない焦燥と、こんにちはブルーマンデー、まもなく月曜日の朝がやってくるために、すっかり意気消沈しながらも、やっぱり私の時間は天からの落下を続けているのだった。ねえもしあなたの垂直時間が上から下へと流れているならあなたは私と同類なのだし、もし万が一あなたの水平時間が前から後へと流れているようならば、既にあなたは私なんかよりももっと危険な状態にあるということなのだから、もしそうだったらかなり注意深く気をつけて生きた方がいいですよ。余計なお世話かもしれないが、念のため。こんなたわけた報告があったっていいと思ったものでね。 (020708)

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蠍 »

 岩影に蠍が尾を高々と振り上げて獲物を待ちかまえている。白昼の砂漠。在るのは陽炎に揺らぐ地平線と熱風がもたらす完全な乾燥だけ。命無き者のようにただじっと獲物を待ち続けるほか蠍には何もすることがない。だが、獲物を待つ、その一瞬一瞬、それこそが蠍の生なのである。そして今、風は途切れ、砂は転がり滑るのを止め、地形の輪郭は明確に研ぎ澄まされ、影が己の境界線を黒々と静止させる。砂の一粒一粒が克明に存在の色を明らかにして、塵を大量に含んだ空の粒子と対立し、身動きひとつしない蠍を同化させる。蠍は待つ。生命の単調。その退屈な緊張。跳ね弾ける寸前の姿勢のままで保たれた持続する生。時間は止まっているかのように過ぎてゆく。太陽が過酷な視線を彼に投げかけ、彼の眼の中で世界は、全てが赤く虚ろに燃える。

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秋 »

 台風が去り、天が高くなった。馬が肥えた。秋だなあ。肥大した馬は豚と見分けがつかなくなり、私の顔は他人と区別がつかなくなった。たぶん私は今、鏡像段階以前の状態へと溯行しているのだ。やがて私は身体を失うのかもしれない。かわりに手に入れるのは──身体を失った者が手に入れるという表現を使用するのは矛盾しているようだが──夥しい不条理の群体/軍隊とそれらが築きあげた無数の屍だろう。秋は死を準備する季節だから。

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駱駝 »

 星の無数に瞬く砂漠の夜。日中の過酷な運搬労働から解放された駱駝が、長い睫毛を震わせて寝そべっていた。皮下に染み込んだ白昼の灼熱を、今は少しずつ背中のこぶから逃がしているところだ。彼の放出する陽精の名残が、暗い大気を掻き乱し、速やかに化合して、青白い影をたちのぼらせた。太古からの風が吹きつけ、砂中深く埋没した都市の亡霊が天幕に浮かび上がった。砂のさざめきに洗われ呑み込まれて幾世紀を経過した日乾煉瓦の、その街並みの一切が宙へとうねるように投影され、そして記憶に彫刻された。音符のように配列された楔形文字の記憶として。──駱駝はそれまでずっと背中に感じ続けていた人荷の重さを忘れ、砂丘の緩やかな下降線に自らの生命を重ね合わせた。真昼の夢は流星となって消えていった。

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蝙蝠 »

 錯乱の夕べに蝙蝠が放つ超音波は、洞窟に反響し、地殻で凝固する。そこに生み出された時間の歪みを、再び、鋭い耳で彼らが捉える。いつまでも繰り返される微細な振動信号のやりとりを無視して、青い光のアーチが中空に架けられている。

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