‘Kipple’カテゴリーの記事

(誕生) »

海水。いや、それすら。ただあったのは、ある種の輪郭。形とは呼べないが、区切られた境界線、内と外、分離あるいは乖離。海水は両方にあったが、境界によって区別された。それはこのおよそ40億年の間に、たった一度起きたきりの出来事だった。その後に繰り返された複製は、模倣された再現劇としては精巧だが、最初ほどのインパクトはない。それ以前とそれ以後に引かれた境界は、その断絶と連続は、曖昧に接続しながらも、明確に違う意味圏に属しているのだ。降り止まぬ硫化水素の雨、大いなる大洪水の時代。だが、思い出せるのはそのくらいだ。まだ言葉がなかった。脳もなかった。殺し合いすらなかった。あったのは、複製、保存、増殖への渇望。飢餓の感覚として。いくつかのバクテリアが出会い、互いを取り込み、融合して、細胞が生まれた。そこに辿り着くまでも、数十億年を要したのだ。
ひとつひとつの細胞がひとつひとつの生命を体現しているなら、我々は60兆から70兆もの生命の塊。また、ひとつひとつの細胞が最も基本的で原始的な生命の形態を髣髴させるなら、我々は60兆から70兆もの太古の記憶を内包していることになる。

Tail-Lagoon @ 07:22   |   PageUp

Another land : つーか単なる愚痴 ; »

 こんなことあんまり言いたかないが、しかしどうしてもオレはこの社会に馴染めない。とは言え、もっと違う社会が探せばあるのか? あるいは、この社会を変えるか壊すかすればいいのか? ユートピア、テロリズム? だがオレは完全管理社会なんかごめんだし、暴力もごめんだ。
 いや違うよ。もっと単純なことなんだ、きっと。そしてそれは、時間に関連した何かなんだ。つまり、この社会の時間の流れが、自分の心地よい(または、最低限許容できる)速度とは、どうしても相入れず齟齬をきたすってだけのことなんだ。
 もしも、各人が各様の時間速度を選択できるようになれば、ただそれだけで、この社会は誰にとっても、かなり生きやすくなるに違いない。たとえ完全ではなくとも、それでも随分マシになるに違いない。つまり、パラダイスとはそれなんだ。オレはそう思う。思うが、いつも堂々巡り。だから、言いたかなかったんだよ。
 そのためには、いったい何が必要なんだろう。タイムマシンに似た何かの装置の発明か、それとも、社会システムの変革の方が、もっと現実的なのか。それはわからない。

Tail-Lagoon @ 00:42   |   PageUp

迷宮レファレンス »

無限の網の目によって構成された無限のレファレンス──参照の魔の幻惑──その基本動作は、部分的なループとブレークを組み合わせながら、絶えず網の目の新たな領域を獲得しようとする。あの古代の大帝国のように版図は拡げられ、伸長され、薄められつつも、新たなリンクを生み出すことを決して止めようとはしない。ぼくらはこの蜘蛛の巣に捕らえられた小さな羽虫のように、ただ震えもがいているだけなのだ。ここでは、形の定まらないアメーバ状の運動によって、見えない円環と消えない迷宮が随所に張り巡らされている。もはや迷宮には中央がなく、ミノタウロスの棲まう場所は存在しない。バベルの図書館からの退去。カントールとの別離。

Tail-Lagoon @ 22:01   |   PageUp

先の見えない航海 »

先の見えない航海をしている。
目的地も寄港地もわからない航海。
これはつまり、漂流であり遭難ということか。
だからそんな航海に付き合って同じ船に乗り込もうなどという者もない。
それでも、風が吹けば帆を張り、帆が破ければオールを漕ぎ続ける。
それ以外、できることもやるべきこともないのだから。
いつか水平線の先に島影が見えてくることを信じつつ。

Tail-Lagoon @ 09:35   |   PageUp

フラクタルな意識 »

 この世界には多くのフラクタルな入れ子構造が見られるという。
 では、「意識」についてはどうだろう。われわれの意識もまた、フラクタルな入れ子構造を持つものだとしたら?
 フラクタルは、部分が全体の相似形であり、どの部分を拡大しても、そのミクロな範囲に全体と似通った構造を発見できるというものだ。
 各部分はそれぞれ単独で全体を表現し、なおかつ、全体に接続することで、より大きな要素の一部を構成している。
 意識がこのような階層構造を持つものだとしたら、どのようになるだろう?
 われわれは、自身の意識を、単一で完全なものとして認識しているが、もしかしたらわれわれの意識もまた、より小さな意識の集合体であり、かつまた、より大きな意識の一部として機能しているのかもしれない、ということになる。
 そして、各レベルにおける意識は、それ自身が属するレベルの領域内しか認識できない。知りようがない。

 意識とは、ネットワークであり、つまり組織化された構造様態のことである(と仮定する)。そのようなネットワークが構成できさえするのならば、それを構成する素材が何からできていようと、それは問題ではない。どんな物質から作られていようが構わない。それが原子のネットワークだろうと、炭素分子の複雑な化合物から成り立っていようと、あるいは炭素ではなく珪素化合物だろうとも。
 つまり、意識とは所謂〈生物〉だけが持つ特権ではない、ということになる。
 複雑なネットワークを構成可能なものならば、どんなものでも、意識を持ちうる可能性があるのだから。

 そこで、更にこういう仮定をすることが可能になる。われわれ人間が属するこの宇宙は、それ自体で非常に大きく複雑なネットワークを構成しているように見える。だとしたら、果たしてそこに意識はあるのだろうか、と。
 もしかしたら、たとえわれわれには認識できずとも、宇宙意識なるものが、存在するのではないだろうか。
 これは、ある意味、宗教的な感覚に近いのかもしれない。つまり、太古より人間が思い描き、畏怖してきた大いなるもの、神の存在、それこそまさしく、宇宙意識にほかならない、という思い。
 人間の意識は、より高次の意識を正確に知ることはできないから、極めて不完全な形でしか(つまり、よりわれわれ人間に近い形でしか)宇宙意識というものを想像することができなかったが、漠然とその大いなる存在を予感していた、というようなことは言えるかもしれない。

 宇宙という大きなネットワークは、途轍もなく大きな意識を構成している。だがもちろん、神(人間の想像した)が人間に関与するような仕方で、宇宙が人間に関与するようなことはないだろう。人間が自分の細胞のひとつひとつを意識しないように、宇宙もまた、その細胞であるわれわれ人間の存在など、気にも留めない筈だ。われわれの意識と、宇宙意識とは、互いに埒外にある。
 だがそれでも、われわれの意識もまた、そのフラクタルな構造によって、宇宙意識のある一部分を構成するものである以上、全くの無関係というわけではなく、全く何の交流も交感も生じない、というわけでもないだろうと思う。

Tail-Lagoon @ 00:00   |   PageUp