‘結節点の日々’カテゴリーの記事

ルーティン・システム »

 およそ殆どの生物が、生存上の確固としたルーティン・システムを持っているのに、どうしたわけかヒトだけは、そのようなものを持たない。おかげで、互いに狂ったサイクルが不協和音を鳴り響かせ、やがて自滅するほかないような、悲観的な状況下にあってさえ、何のために何をするのかさっぱりわからず、ただおろおろするか殺し合うかするほかないのだ。すなわち、ヒトの生存だけが疑わしい──生き残る可能性が疑わしいのではなく、生存そのものに疑念がかかっているのだ。自ら疑わしく他を見ても疑わしく、種としての調和(殺戮や残酷さを含めた上での調和)がないように感じるのだが、どうか。いかなる疑いもなく喰い眠り交わり子を生し死んでゆく率直で潔い他の生物たちを見るにつけ、ますますぼくはヒトとしての自分にただ戸惑うほかなくなるのだ。

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墓標 »

あの人の亡骸を花園に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を下水管に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を机の引き出しに捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を金魚鉢に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を暗がりに捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を屋上に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を議事堂に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を鍵穴に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を電車の網棚に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を廊下か階段に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を鍋に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を右目の奥に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を図書館に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を五次元に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を試験管に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を憶測の上辺に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を履歴書の行間に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を群衆の足下に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を金星に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を銀行の金庫に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸を広告チラシの裏に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
あの人の亡骸をソファの下に捨てよう。そこだけがあの人の墓標に相応しい。
ああ、あの人の亡骸をどこに捨てよう。この世のどこにもあの人の墓標に相応しい場所がない。

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リアリティ »

 若い頃の私は、毎日浮遊していた。手応えのない現実に苛立ち、焦燥していた。霞がかった膜の中に閉じ込められて、一点の穴を開けようともがいていた。

 ところが今日(こんにち)の私は、気がつけば仕事と生活に打ちのめされ、完全に地に這いつくばって、もはや僅かの浮遊も望むべくもない。完全な逆転。いったいかつての私はどのようにして、この重苦しい肉体と心を、いかなる支えもなく空に浮かべていられたのだろうか。

 着地を必要としない生活も苦しいが、離陸を不能とする生活もまた苦しいものだ。つまり生きるということは常に苦しいということか。いや、習慣となることが苦しいのだ。自由とはおそらく、どちらの様態をも取りうる中間項、絶えず不連続の跳躍と潜伏を繰り返す第三項の中にあるのだ。と、少なくとも今はそう考えてみるしかない。

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蜘蛛の子 »

Redon

 最近、ルドンの蜘蛛の子を部屋の中で放し飼いにしている。細く長い十本の足を持つ人面の蟲は、いつも底の知れないにやにや笑いをしているのだが、それは生まれつきそういう表情なのであって、特に意味はないのだ。とにかく落ち着きなく、やたら壁や天井を這い回っては幸福そうにしている。ただ、ぼくが夜眠ろうとする時など、真っ暗な部屋の中をかさこそと動き回る音が気になって眠れないことがある。そのせいで不眠症気味になってしまった。そこでつい先日、ぼくは一計を案じて、蜘蛛の子にホフマンの砂男の話を聞かせてやった。さっさと眠らないと、きみのその自慢の真ん丸目玉を、砂男がえぐり出しにやってくるぞ、だからぼくが眠る時は、きみもその目をしっかり閉じて、静かにしなければいけないよ、と。いったいぼくの話を理解したものかどうか、この数日間は、ぼくが就寝しようとすると大人しくしてくれるようにはなった。ただ、ぼくが完全に熟睡した頃を見計らってから、再び動き回っているようなのだが。今朝起きたときは、蜘蛛の子はぼくの顔に乗って、その細長い足でぼくの目を今にも突き刺そうとしているところだった。危ないところだった。どうやら彼のつたない理解力のために、ホフマンの話は彼をして、自分が砂男だと思い込ませてしまったらしい。全く困ったものだ。どうやってこの誤解を解いたらいいものか。眠っている間に、眼球をほじくり出されてはたまらない。これでまた不眠の夜が続くことになるのだろう。

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円環をなす書物 »

Circlebook

 面白い書物を見つけた。

 有限の頁数から構成されているが、しかし初めの頁も終わりの頁も持たない本。文字通り円環をなす書物(もちろんノンブルなど打たれていない)。どこから読み始めても構わず、物語はすべての頁から始まり、すべての頁へと連続し、そして必ず読み始めた頁へと戻ってくるのだ。ブーメランのように。

 ただし、書籍デザインとしては最悪かもしれない。横向きにしてハンドルでも付ければ、オフィスの机上に置いてあった回転式アドレス帳のようだ。

 やはり本は、表紙と背を持ってきちんと装幀されていなければならない。その点、ボルヘスの「砂の本」のように、無限の頁を内包しながら、ちゃんと書物としての体裁が整っている方が興味をそそられる。

 だいたいこの本、どういう姿勢で読めばいいのだ。持つのも大変だし、立てたままでは読みづらい。それに保管する時だって、普通の書棚じゃ無理。

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