2008/03/21(金)

「願いをふたつ叶えてやろう」と慈悲深い悪魔が言った。慈悲深いという形容は、この悪魔による自称である。悪魔いわく、人間というのは常に間違った願いをするのだという。そして「せっかく叶えてやった願いを後悔し、オレたちはいつも結局、元に戻してくれと泣きつかれる破目になる」らしい。だがもし、願いがたったひとつだけという条件ならそれはできない相談だ。「ひとつだけの約束だからな。悪魔は悪魔なりに約束は守るんだ。」ところが人間は、自分の誤りとわかってもそれを悪魔のせいにして──「いやはや全くの逆恨みだよ」──おのれの間違った願いを警告もせず叶えた方が悪いのだと決めつけ、残りの一生悪魔のことを恨んで過ごす。そしてついに死ぬ間際には、大抵の者は徹底的に改心してしまい、そのため、神の使いによってその人間の魂が完全に守護され、悪魔の手に入らなくなってしまうのだという。「要するに必ず、神の野郎にうまいこと横取りされちまうんだよ。だからさ、そうならないためにオレは、仲間と違って、必然的に予見しうることには予め手を打っておこうというわけさ。そういうわけで、オレはいつも人間の願いをふたつ叶えてやることにしてるんだ。だから、お前の願いもふたつ聞いてやる。ひとつはお前が望むことを叶え、もうひとつはその望みをキャンセルするために使うがいい。」
そこで私は、悪魔に自分の願いをふたつ叶えてもらえることになった。
いきさつはこうだ。私は旅行者としてある町に滞在していたのだが、その町でわりと大きな地震があった。大した被害はなかったが、町で一番古い教会堂が潰れてしまったというので、私は見物に出かけた。建物の残骸が山になり、かつて塔の上で輝いていた十字架が、無残にも地面に横倒しになっていた。ふと見ると、鼠くらいの小さな黒っぽい獣が、倒れた十字架の脇でもがいていた。長い尻尾が十字架と瓦礫に挟まれて、うまく抜け出せないらしい。集まった野次馬たちは、礼拝堂のキリスト像(観光の目玉であり、この町の宝だった)を掘り出すのに夢中で、倒れた十字架のそばには誰もいなかった。そこで私は手近にあった棒切れを梃子にして十字架を持ち上げ、下敷きになった尻尾を自由にしてやった。獣はするりと尻尾を抜き去ると、すぐさまどこかへと走り去った。見慣れない生き物だったので、もう少しよく観察したいと思っていた私は、獣の姿を見失ったのが少し残念だった。しかし数時間もたつと、獣のことは忘れてしまった。
悪魔がやってきたのはその晩のことだった。私の宿泊していたホテルの部屋に現れ、昼間助けてもらったのは自分だから、その礼がしたいという。私は断った。自分の魂は誰にも売り払うつもりはないからと。悪魔は言った。もちろんそんなつもりはない。これは本当にお礼だから、ただでサービスするつもりで来たのだと。 そして、冒頭の話になったのだ。慈悲深い上に随分と律儀な悪魔である。
ところで私には、格別これといった願いもなかった。裕福ではないが貧しくもない、生きてゆくのにさして困ることもなかったし、仕事にも家族にも友人にも不満はなかった。──だが、こんな機会は滅多にあるものでもないし、本当にどんな願いも叶えてくれるというのなら、ちょっと無理難題を出してやれといういたずらっ気がわいてきた(それが唯一の欠点なのだが、私はちょっとしたいたずら者なのだ)。
「宇宙の果てに行ってみたい」そう私は言った。宇宙に果てなどないことは百も承知で。
Tail-Lagoon @ 20:17
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