落下する時間

 時間を水平方向の動きに例えるならば、その運動の方向は後から前へということになるだろう。このイメージはたぶん万人に共通の筈だ。では垂直方向の動きに例えた時は? 時代を下るとか遡るとか言うように、時間は上方から下方へ向かって落ちてゆくものだ。落下する水滴のイメージ。それに、これは私だけのことかもしれないが、日本のような縦書きの文化においては、上から下へと文字を追い続けるうちに時間も進んでいく以上、少なくとも文学的表現としては、時間というものは下降するものなのだ。と、私はずっとそう信じこんでいたのである。ところが驚いたことに、どうやら現代においては、時間というのは上昇するものらしいのだ。ある書物にそのように書かれているのを読んで、私は結構衝撃を受けた。つまり、近代・現代において、時間の流れはそのまま進歩・進化のイメージと重なり、ヒトという種が進化の頂点に位置しているというおめでたい錯覚と相俟って、下方から上方へと、天の高みを目指して昇っていくものとして捉えられているというのである。時間について考えようとする時、どうしても空間的な比喩を使用して考えざるを得ない、そういう一面が私達の中に伝統的に巣食っているとは常々思ってきたことだけれど、まさかその比喩がまったくあべこべに考えられているとは知らなかった。ああびっくりしたびっくりした。私はどうやら時間からも置いてきぼりにされて、現代人に属さない人間ということらしい。とはいえ、過去に属することだって時間の不可逆性によって禁じられているわけだから、つまるところ私はどこにも所属できないというわけか。そら困った。時間厳守。同時行動。それが社会生活の掟なら、他者と違う時間の流れに生きることは許されまい。いやそれとも、そのような機械時計のルールから脱却できたことをむしろ喜ぶべきなのか。脱却できたのなら喜ぶべきだろうが、今もこうして囚われたままになっている以上、たいして喜ぶべきことでもないだろう。それどころか人と協調すべき時に協調すべき共通の時間イメージを持っていないのならば、苦労の方が多かろう。えらいこっちゃえらいこっちゃ。道理で何だかおかしいとは思っていたんだいつもいつも。何でか知らんがどうも人とうまく時間が合わない。合わないのを無理矢理我慢して合わせているから、だからこんなにしんどかったのか。どうしてだろうなぜなんだろうと思っていたのさいつもいつも。そうかそういうことだったのか。なるほどなるほど漸く判った。とまあかくも大げさにとりとめのない焦燥と、こんにちはブルーマンデー、まもなく月曜日の朝がやってくるために、すっかり意気消沈しながらも、やっぱり私の時間は天からの落下を続けているのだった。ねえもしあなたの垂直時間が上から下へと流れているならあなたは私と同類なのだし、もし万が一あなたの水平時間が前から後へと流れているようならば、既にあなたは私なんかよりももっと危険な状態にあるということなのだから、もしそうだったらかなり注意深く気をつけて生きた方がいいですよ。余計なお世話かもしれないが、念のため。こんなたわけた報告があったっていいと思ったものでね。 (020708)

Tail-Lagoon @ 00:00

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