複数者

 わたしは複数ある。複数のわたし。だがだからといってわたしはわたしの人称を複数形にしたりはしない。わたしはわたしのことを「われわれ」などと呼びはしないのだ。わたしはわたしをわたしと呼称すればそれで充分だと考えている。わたしはメニイであり、ワンではない。だがまたわたしは全でもなく個でもない。その中間にある有限のメニイであって、おそらく無限のメニイではない。それだけはわかっている。さて、わざわざそんなことを書くのは、ほかでもない、日記と称しつつもはやわたしとは一見何の関係もなさそうな記述が続いているこの現状に対して、少し弁明しておく必要を感じたせいだ。──つまり、わたしが複数であるということは、わたしはカメレオンであり北極熊でありオランウータンであり猫であり蠍であり麒麟であり、わたしがわたしであるところのいかなる生物でもありうるということなのだ。したがって、この断片的な日々の記述は、わたしと全く関係ないどころか、おおいにわたしに関連している記録であり、わたし自身の日記としてちゃんと成立しているということが言いたかったのである。わたしが結節点であるということは、とりもなおさず、紡がれ織り込まれたテクスト(テキスタイル)の全ての編み目・結び目・交差点に等しいということなのだ。この光学的な世界の斑な偏光の焦点の中にわたしがいる。

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「ふと思ったのですが、「わたしは死んだ」と生者が「言う」ことは可能ですが、死者が「言う」ことは不可能ですよね。ですがまた、生者が「わたしは死んだ」と言えば、それはとりもなおさず「嘘」になりますが、死者が言うなら「本当」です。偽は可能であり真は不可能であるというのは、すごく日常的なジレンマであり、かつ非日常的な状況下ではありえないジレンマです。……というような言葉遊びが連想されました。つまり日記というのは、破綻するために書くようなものなのですね。」

Tail-Lagoon @ 00:00

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