2008/11/10(月)
この世界には多くのフラクタルな入れ子構造が見られるという。
では、「意識」についてはどうだろう。われわれの意識もまた、フラクタルな入れ子構造を持つものだとしたら?
フラクタルは、部分が全体の相似形であり、どの部分を拡大しても、そのミクロな範囲に全体と似通った構造を発見できるというものだ。
各部分はそれぞれ単独で全体を表現し、なおかつ、全体に接続することで、より大きな要素の一部を構成している。
意識がこのような階層構造を持つものだとしたら、どのようになるだろう?
われわれは、自身の意識を、単一で完全なものとして認識しているが、もしかしたらわれわれの意識もまた、より小さな意識の集合体であり、かつまた、より大きな意識の一部として機能しているのかもしれない、ということになる。
そして、各レベルにおける意識は、それ自身が属するレベルの領域内しか認識できない。知りようがない。
意識とは、ネットワークであり、つまり組織化された構造様態のことである(と仮定する)。そのようなネットワークが構成できさえするのならば、それを構成する素材が何からできていようと、それは問題ではない。どんな物質から作られていようが構わない。それが原子のネットワークだろうと、炭素分子の複雑な化合物から成り立っていようと、あるいは炭素ではなく珪素化合物だろうとも。
つまり、意識とは所謂〈生物〉だけが持つ特権ではない、ということになる。
複雑なネットワークを構成可能なものならば、どんなものでも、意識を持ちうる可能性があるのだから。
そこで、更にこういう仮定をすることが可能になる。われわれ人間が属するこの宇宙は、それ自体で非常に大きく複雑なネットワークを構成しているように見える。だとしたら、果たしてそこに意識はあるのだろうか、と。
もしかしたら、たとえわれわれには認識できずとも、宇宙意識なるものが、存在するのではないだろうか。
これは、ある意味、宗教的な感覚に近いのかもしれない。つまり、太古より人間が思い描き、畏怖してきた大いなるもの、神の存在、それこそまさしく、宇宙意識にほかならない、という思い。
人間の意識は、より高次の意識を正確に知ることはできないから、極めて不完全な形でしか(つまり、よりわれわれ人間に近い形でしか)宇宙意識というものを想像することができなかったが、漠然とその大いなる存在を予感していた、というようなことは言えるかもしれない。
宇宙という大きなネットワークは、途轍もなく大きな意識を構成している。だがもちろん、神(人間の想像した)が人間に関与するような仕方で、宇宙が人間に関与するようなことはないだろう。人間が自分の細胞のひとつひとつを意識しないように、宇宙もまた、その細胞であるわれわれ人間の存在など、気にも留めない筈だ。われわれの意識と、宇宙意識とは、互いに埒外にある。
だがそれでも、われわれの意識もまた、そのフラクタルな構造によって、宇宙意識のある一部分を構成するものである以上、全くの無関係というわけではなく、全く何の交流も交感も生じない、というわけでもないだろうと思う。
Tail-Lagoon @ 00:00
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