コギト

 地下鉄に乗っていた。果てしなく続くトンネルが、わたしをカフカの書いた巣穴の獣のような気分にさせた。

 わたしは誰か? かつてわたしは、わたしである誰かだった。そして今のわたしは、誰でもない誰かである。わたしは、ドストエフスキーが生み出した無名の地下室の住人にちょっとだけ似ていると思う。だがまた、多数の匿名性の中に溶解したわたしについては多くの書物に語られてもいる。

 わたしは誰か。ブルトンの『ナジャ』の冒頭もまた、この問いかけで始まっていたな。しかし出発点は同じでも到着する場所が同じであるとは限らない。わたしが出会ったのは女ではなく、このわたしの分身、誰でもない誰かであった。わたしはわたしであり、そして誰でもない誰かなのだ。

 ふとわたしはいたたまれない衝動に貫かれて、電車がどこかの駅に停車したとたん飛び降りた。ここがどこなのか確かめもせず、改札を駆け抜け、地上を目指した。白昼の光を求めて。

 地下鉄から地上へ上る階段を駆け上がる。最後の踊り場をターンした瞬間、まっすぐ差し込んできた陽光に射貫かれた。出口のど真ん中に太陽が輝き、わたしの網膜を焼き切った。ほんの数秒間のことではあったが、ゴルゴンと眼を合わせてしまったように、わたしは石化した。太陽と視線を合わせるなど、あってはならないことだ。わたしはドラキュラ伯爵のように太陽を避けねばならなかった筈だ。なぜなら、きっと太陽だけはわたしが誰か知っているから。

 だがもう遅い。わたしは太陽に見つかってしまった。ひとりでかくれんぼをする子のように、ついには隠れていることに耐え切れなくなり、誰かに見つけられるために、のこのこと隠れ場所から飛び出してしまったのだ。

 無論、だからといって、太陽がわたしを誰かに変えてしまうわけでもない。太陽がムルソーを殺人者に変えたようには、わたしが変わることはない。何も変わるわけではない。わたしはわたし、誰でもない誰か。太陽だけが知る誰かである。

 もう夏は傾いていた。あまりに眩ゆい光がわたしを包み込み、そしてわたしのコギトは蒸発してしまう。ただ黒々と影だけを残して。わたしはもう考えない──エルゴ──わたしはない。

Tail-Lagoon @ 00:00

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