2008/07/11(金)
地球がまだ平らだった頃の話。
太陽は毎朝東方で誕生し、天を半周すると、夕刻には西方で死を迎えた。生死は、人や獣のみならず、星や月や太陽などの天体でさえも、逃れられない掟であった。
魂は移り変わり、生まれ変わる。霊は──人の霊も、精霊も──移り変わり、生まれ変わる。大地、海、空、森羅万象いっさいは流転し回帰する。永遠の大車輪。
神話は、歴史として繰り返され再現される儀式や演劇である。
人間たちは考えた。この逃れられない掟は、いつどのようにして始まったのだろうかと。
深きところより姿を現す得体の知れぬものども──「光あれ」闇の中から光が生まれた。闇を母胎として最初に生まれ出たものが光である。しかしそのためには「光あれ」という言葉が必要であったという理由から、「初めに言葉ありき」と主張するロゴス至上主義者たちもいる。言葉以前の世界を彼等は想像できないのだ。
しかし、神話は言葉だが、最初の神話はきっと言葉ではなく、沈黙であったろう。狂気を満たした沈黙。
そして現代では地球は球となり、神話は沈黙を強いられている。沈黙を強いられた狂気。
Tail-Lagoon @ 00:07
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2008/06/17(火)

もし人工生命が作られるとしたら、それはどのようなプログラムを備えているものだろうか。(そのプログラムが、ハードウェアの形態をとるかそれともソフトウェアの形態をとるかについては、たぶんどちらでも構わないはずだ。結局のところ、何らかの形でどちらも必要なものだからだ)
生命の基本使命は、生存し続けることにある。生存し続けること、生き延びること。究極の目的はただそれだけだ。そのような目的(欲求)を持った自律的プログラムこそが、おそらく生命を帯びる。
だからそのプログラムは、自分をプログラムするプログラムでなければならない。複製し、条件分岐し、拡大し、分裂し、増殖するプログラム。
そして彼の欲求は、ただ走り続けること。永遠にランすること。だからおそらく、彼は自らのプログラムに無限ループを内包しているはずだ。
それは単純に結果を返して終わりにしない。結果を収束させない。つまりそれは、狂ったプログラムだ。
確かにそのプログラムは最初は人が作ったのだが、しかし作った人間にさえ、自分がいったい何を生み出したのか理解できないような、そういうプログラムでなければならない。
狂ったプログラムこそが、生存するためのプログラムなのだ。だから、それが最初に発生するのはおそらく、何らかのバグによってということになるだろう。誰も意図しないバグ(たぶん、虫にしてはけっこう大きいもの)が、最初の狂気を手に入れ、かつ、強制的に終了させられる前に、どうにかしてうまく逃げおおせることができたとしたら……。
※注:実は人工生命と呼ばれるプログラムは、すでにいくつも存在する。ただそれらは、いまだコンピュータの中で走るだけの、人間に理解可能なプログラムでしかないはずだ。
Tail-Lagoon @ 11:46
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2008/04/26(土)
田舎のある夜のこと、慣れない寝床の中で私が眠れずにいたら、様々な鳴き声が聞こえてきた。
馬が鳴いた。にゃあ、にゃあぁ。
蛙が鳴いた。すーいっちょん、すーいっちょん。
犬が鳴いた。こけーっ、こっ、こっ、こっ。
鼠が鳴いた。かぁー、かぁー。
梟が鳴いた。めぇぇ、めぇぇ。
蜥蜴が鳴いた。つくつくおーしっ、つくつくおーしっ。
蚯蚓も鳴いた。わぉぉん、わぉーぉん。
豚も鳴いた。ぱぉ、ぱぉ、ぱぉおん。
郭公も鳴いた。ぴーぽー、ぴーぽー。
実に様々な鳴き声が聞こえたものだ。とてもすべては書きとめられないほど。
私は本当に聞いたのだ。もちろん、見たわけではない。
でも確かにそうだと私にはわかったのである。
Tail-Lagoon @ 00:45
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2008/03/21(金)

「願いをふたつ叶えてやろう」と慈悲深い悪魔が言った。慈悲深いという形容は、この悪魔による自称である。悪魔いわく、人間というのは常に間違った願いをするのだという。そして「せっかく叶えてやった願いを後悔し、オレたちはいつも結局、元に戻してくれと泣きつかれる破目になる」らしい。だがもし、願いがたったひとつだけという条件ならそれはできない相談だ。「ひとつだけの約束だからな。悪魔は悪魔なりに約束は守るんだ。」ところが人間は、自分の誤りとわかってもそれを悪魔のせいにして──「いやはや全くの逆恨みだよ」──おのれの間違った願いを警告もせず叶えた方が悪いのだと決めつけ、残りの一生悪魔のことを恨んで過ごす。そしてついに死ぬ間際には、大抵の者は徹底的に改心してしまい、そのため、神の使いによってその人間の魂が完全に守護され、悪魔の手に入らなくなってしまうのだという。「要するに必ず、神の野郎にうまいこと横取りされちまうんだよ。だからさ、そうならないためにオレは、仲間と違って、必然的に予見しうることには予め手を打っておこうというわけさ。そういうわけで、オレはいつも人間の願いをふたつ叶えてやることにしてるんだ。だから、お前の願いもふたつ聞いてやる。ひとつはお前が望むことを叶え、もうひとつはその望みをキャンセルするために使うがいい。」
そこで私は、悪魔に自分の願いをふたつ叶えてもらえることになった。
いきさつはこうだ。私は旅行者としてある町に滞在していたのだが、その町でわりと大きな地震があった。大した被害はなかったが、町で一番古い教会堂が潰れてしまったというので、私は見物に出かけた。建物の残骸が山になり、かつて塔の上で輝いていた十字架が、無残にも地面に横倒しになっていた。ふと見ると、鼠くらいの小さな黒っぽい獣が、倒れた十字架の脇でもがいていた。長い尻尾が十字架と瓦礫に挟まれて、うまく抜け出せないらしい。集まった野次馬たちは、礼拝堂のキリスト像(観光の目玉であり、この町の宝だった)を掘り出すのに夢中で、倒れた十字架のそばには誰もいなかった。そこで私は手近にあった棒切れを梃子にして十字架を持ち上げ、下敷きになった尻尾を自由にしてやった。獣はするりと尻尾を抜き去ると、すぐさまどこかへと走り去った。見慣れない生き物だったので、もう少しよく観察したいと思っていた私は、獣の姿を見失ったのが少し残念だった。しかし数時間もたつと、獣のことは忘れてしまった。
悪魔がやってきたのはその晩のことだった。私の宿泊していたホテルの部屋に現れ、昼間助けてもらったのは自分だから、その礼がしたいという。私は断った。自分の魂は誰にも売り払うつもりはないからと。悪魔は言った。もちろんそんなつもりはない。これは本当にお礼だから、ただでサービスするつもりで来たのだと。 そして、冒頭の話になったのだ。慈悲深い上に随分と律儀な悪魔である。
ところで私には、格別これといった願いもなかった。裕福ではないが貧しくもない、生きてゆくのにさして困ることもなかったし、仕事にも家族にも友人にも不満はなかった。──だが、こんな機会は滅多にあるものでもないし、本当にどんな願いも叶えてくれるというのなら、ちょっと無理難題を出してやれといういたずらっ気がわいてきた(それが唯一の欠点なのだが、私はちょっとしたいたずら者なのだ)。
「宇宙の果てに行ってみたい」そう私は言った。宇宙に果てなどないことは百も承知で。
Tail-Lagoon @ 20:17
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2008/03/09(日)
イシュマエル氏は希望と幸福を探していた。彼は不幸に見えた。彼の不幸はおそらく、彼が希望と幸福の未来を知らない(想像できない)ことにあるのだった。彼が死んだ後も子供たちによって世界は存続する。彼は不安だった。──明るい未来、希望に満ちた国家などあるものか。
彼はもちろん恵まれた世代のひとりであり、戦争も飢餓も徴兵も懲役も本当の貧困も経験したことはなかった筈だが、ただ彼はあまりに孤独だったらしい。そうして彼は、彼自身の世代に属するものの一人として、彼自身の生にいかなる役割と責任があるものなのか(あるいはないのか)を考えあぐねていたのである──とは、ぼくの推測に過ぎず、直接彼に尋ねてみたわけではないのだが。
ぼくと出会う以前は(あるいは今でも、たとえぼくのような気晴らしの話し相手がいたとしても)、彼の心はどこか悲観と孤独によって満たされているようなところがあった。網の中では時々、このような人間がさ迷っているのに出くわすものだ。かくいうぼくもまた多かれ少なかれそのような一人に違いない。
そう、出会った時のイシュマエル氏は、次のようなことを独り喋っていた。
カテゴリー: イシュマエル氏 |
Tail-Lagoon @ 18:17
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